遠距離介護ダイアリー

東京と東北間での遠距離介護は突然始まりました。私はホームヘルパ ーを25年以上やっており色々な在宅介護を目の当たりにしてきました。人間誰にでも訪れる介護の話を日々綴っていきたいと思っています

介護の原点。主人の大病②

 

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昨日の続きです。

 

急におかしなことを言いだした主人に私は困惑しました。

 

「何言ってんの」と言っていいのか。

 

「そうなんだ」と言えばいいのか。

 

この時主人の体には新たな異変が生じていました。

 

手術をして熱もさがり良くなったとばかり思っていたら、

再度高熱に襲われました。

 

高熱にうなされながら突然何かに襲われるような、何かが襲ってくるような

物が見えるんでしょうか、見たことないような表情で怖さを訴えるんです。

 

いったい何が見えているんでしょうか。この症状は何ですか。

おそらく熱のせいです。

 

そして今度の熱の原因がMRSA。

 

「メチシリン耐性黄色ブドウ球菌」

 

主治医にはっきり言われました。

 

あの当時とても恐れられていた院内感染。

 

はやりに乗ってしまいました。

 

健康な人には何でもない菌ですが、抗生物質が効かない厄介なものです。

弱った体にはもってこいだったんでしょう。

 

手術室からの感染だろうと思いました。

 

だって病棟は隔離病棟で患者は1人だったんですから。

 

ここから主人は意識が混濁し、私の事もわからず言葉も失って

いきました。

 

この一大事です。私は微熱があり完治しないまま病院を退院し

主人の看病に専念しました。

 

手術前と同じように高熱と解熱を繰り返し、主治医は手の施し

様がなく、治療に使用していた点滝も何もかもリセットする

との事でやめてしまいました。

 

そして病棟は一般病棟に移りました。

 

唯一行っていたのが鼻からチューブを入れてエレンタールを流し込む事。

ただの栄養補給です。

 

どんどん悪化していく主人を黙ってみているわけにはいきません。

 

自分が動かなければ先はないなと思いました。

 

そこで主治医にもっと大きな病院に転院させてほしいと申し出ました。

 

すると主治医からは、今自分が診察してわからないものを

他へ行ってもダメだと思うと言われました。

 

しかし続いて、

「自分の母校の弘前大学病院の集中治療室にでも行けば

治るかもしれないけど」

と言ったんです。

 

すぐに

「だったらそこに転院させて下さい」

と言いました。

 

それから間もなく主治医は弘前大学病院に連絡をとり

転院の許可をとってくれました。

 

そして救急車を要請しその救急車に同乗して大学病院まで

一緒に行ってくれました。

 

ここから新たな治療の始まりです。

 

ここでの主治医にお会いして第一声

 

「ここの集中治療室に入れて下さい」

 

速攻で言いました。

 

そしたら

 

「集中治療室に入れて下さいと言われて入れる人はいないよ。

医師が治療して集中治療室が必要だと判断して初めて入れる

んだよ」

 

って言われてしまいました。

 

 そうなのか。

 

そうですよね。言う通りです。

 

 

 

 

 

一般病棟に入ったんですが、この時主人は脳委縮を起こしており

認知症のような幼児のような頭脳になっていました。

 

私が妻だという意識はもちろんなくなっており、おそらくただの

付き添いだったんだろうと思います。

 

ここでIVH(中心静脈栄養)を入れました。

 

その時に発症したのが髄膜炎でした。

 

主人の大病はまだまだ続きます。

 

 

 

 

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