遠距離介護ダイアリー

東京と東北間での遠距離介護は突然始まりました。私はホームヘルパ ーを25年以上やっており色々な在宅介護を目の当たりにしてきました。人間誰にでも訪れる介護の話を日々綴っていきたいと思っています

2週間生きてくれました

 

 

 

 

利用者さんの奥様が亡くなられました。

 

その闘病の事はまったく知らされておらず、後になってわかった事

だったんです。

 

元々脳梗塞で車いす生活だった奥様は、常に前向きな性格でいつも

げらげらと笑っているような明るい方でした。

 

旦那様は若い時は単身赴任ばかりで、家の事もすべて奥様にまかせっきり

にして、自分の好きな仕事をさせてもらっていたとの事でした。

 

ですから奥様が脳梗塞で倒れてからは、今までの恩返しの意味もあり

奥様の事をとても大事にされていました。

 

そんな優しい旦那様に看病され、長い闘病生活も苦痛な事はなかった

様です。

 

もちろん色々な介護サービスを使っておられたので、その方たちの

サポートが大きかったと話されていました。

 

お風呂も旦那様が入れていたので、常に全身状態は確認されていました。

 

ところがある日突然お腹が異様に膨らんだんだそうです。

 

痛みはなくとにかく異様な膨らみ方だったそうです。

 

次の日すぐに病院に行き診察してもらいました。

 

その日はそのまま検査入院となりました。

 

病院は完全看護ですから、旦那様は帰宅され奥様お一人だけが病院に

残りました。

 

検査は1泊で終わり退院されましたが、すぐに病院から電話がきてまた

すぐに逆戻りしたそうです。

 

そして診察前の待合室で奥様が

 

「なんか大変な事になったみたいだね(笑)」

 

とあっけらかんと笑っていたそうです。

 

本心は笑えるような状況ではなかったはずです。

 

そして医師から告げられたのが

 

「悪性リンパ腫です。あと2~3日の命です。」

 

病気がわかった時すでに余命2~3日って。

 

自分だったらどうしますか。考えられない宣告です。

 

もちろんそのまま入院です。

 

すぐに点滴治療が始まりましたが旦那さんは帰宅です。

 

奥様は一晩中泣き続けたそうです。

 

しかし泣きわめくとか大声を出す事は決してなかったそうです。

 

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 でも小さいながらも聞こえたのが

 

「パパがいない。パパに会いたい。パパの所に帰りたい。」

 

そう言いながら泣いていたそうです。

 

医師もこのままここで最期を迎えるのはあまりにも気の毒な事だと

判断し、在宅での看取りを勧めたそうです。

 

奥様にとって旦那さんと一緒にいる事が唯一の生きるための力となり

薬であり治療となると言ったそうです。

 

在宅での看取りはなかなか難しいものがあります。

 

その決心には相当な覚悟が必要です。

 

でも迷うことなく在宅での看取りを決断されました。

 

毎日の訪問看護さんや在宅での往診等早急に準備を進め、すぐに

病院を離れ自宅に戻られました。

 

余命2~3日と言われましたが、その後奥様は2週間という期間を

旦那さんと自宅で過ごされました。

 

その最期もとっても穏やかで、奥様の性格どおり苦しむ事なく

とっても安らかだったそうです。

 

この最後の2週間の様子を文章にしてお悔みに来られた方々にお配り

された様です。

 

今はようやく気持ちの整理もできて、自分の今後の事を考える余裕も

出てきたと話されていました。

 

これからは私たちもこの利用者さんのためにできる事を支援して

奥様の分まで元気に過ごしていただけるように訪問していきます。

 

 

 

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