私の母は東京神田の生まれです。
幼い頃は結構裕福な家庭で育ったそうです。
確か大きな酒屋だったと聞いています。
しかし戦争で、母の田舎である山梨県に家族で疎開した
そうです。
山梨に疎開して父親が突然の脳卒中でそのまま他界してしまいました。
そこで母たちの生活は一変しました。
母にはその時まだ幼い弟たちもいました。
でも祖母の実家が裕福だったため、母のおじさんが母たち兄弟を
育てるために沢山の資金援助もしてくれて、貧乏ながらも昔の
高等女学校を卒業させてくれたんだそうです。
それから母は幼い兄弟を育てるために戦後は一人上京して働き、実家に
仕送りをして田舎に残された兄弟のためにお金を送りました。
母はいつも言っていました。
お金が無い時に資金援助をしてくれた叔父に対する感謝は
一生忘れられないって。
結婚してからの生活も裕福ではありませんでしたが、まあ普通に
私たち兄弟を育ててくれました。
私たち子供が独立するようになってから、少しずつコツコツと
貯金を始めました。
年金生活になってからも結構長く収入を得ていた母でした。
何でもやりましたからね。
ある程度の貯金ができたころ、母は私に言いました。
「自分はすごく貧しい思いをして、その時に助けられた叔父の事を
本当に感謝している。」
「自分も家族が困っている時に資金援助ができるように、頼りになる
お祖母ちゃんになりたい。」
そう言って、私の娘(孫)がお嫁に行った後もちょこちょことお小遣い
を送金してくれていました。
娘は有難かったと思います。
苦しい時に送ってくれた少しのお金。
決して大金ではありません。
でも母は頻繁に送ってくれていました。
そして孫から喜ばれる事が母にとっての楽しみだったんです。
後見制度はそんな母の喜びまで奪いました。
認知症かもしれません。
でも孫が喜ぶ姿や電話での会話は、遠く離れていてもしっかり
感じる事は出来ます。
母の意思でやっていた事なのに、母に判断能力がないからって
他人が通帳管理する事が正しいやり方でしょうか。
母は最近もう自分はダメ人間だなんて言います。
孫たちにも何にもしてあげられなくなったって。
お金なんてくれなくたって良いんです。
元気でいてくれさえすればそれで良いんです。
でも母にとっては自分の叔父への感謝と同じように孫たちからも
そういう存在になっていたかったんです。
認知症になったって、自分のお金に対する判断はできます。
ATMが使えない事が判断能力の低下ではないでしょう。
後見制度の前に、母に判断能力が無いと判断した銀行に腹が
立ちます。
何を根拠にそんな判断をしたのか、いつか銀行に聞きたいと
思います。
あなたたちの誤った判断のせいで、母は多大な迷惑をこうむったんです。
それを伝えたいですね。
お母さんはダメ人間なんかじゃないよ。
皆んな感謝してるよ。
大丈夫。お母さんはお母さんのおじさんとおんなじ存在になったよ。
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