遠距離介護ダイアリー

東京と東北間での遠距離介護は突然始まりました。私はホームヘルパ ーを25年以上やっており色々な在宅介護を目の当たりにしてきました。人間誰にでも訪れる介護の話を日々綴っていきたいと思っています

教会の聖歌隊だった父と母

 

 

 

子どもの頃、私たち姉弟は毎週日曜日教会に行っていました。

 

子ども礼拝(日曜学校)にバスで通っていたんです。

 

子ども礼拝は礼拝堂の隣の小さな建物で行われていました。

 

毎週牧師さんのお話をまじめに聞き、讃美歌も歌っていましたね。

 

子ども礼拝が終わると大人の礼拝が、礼拝堂で始まります。

 

 

 

 

基本的にはそこに子供はいません。

 

でも時々大人の礼拝に行っていたのを急に思い出しました。

 

そしてそこで両親は聖歌隊として、前の方に座って礼拝に参加して

いたんです。

 

聖歌隊の衣装もちゃんと着ていました。

 

今思えば格好良かったです。

 

聖歌隊の両親の練習風景も時々見ました。

 

 

実は母は音痴なんです。

 

父は普通に声を出していましたが、今思うと、母は声を出していなかった

のではないかと思います。

 

もしかして口パク?

 

でも母なりに一生懸命歌っていたんでしょうね。

 

子どもでしたから真相はわかりませんけどね。

 

 

子ども礼拝で讃美歌を歌う時のオルガンは父が演奏していました。

 

父のオルガンは独学だったと思います。

 

 

練習しているのをいつも見ていました。

 

その影響で私もオルガンを習い始めたんです。

 

子ども礼拝の時に月1回誕生会が開かれます。

 

お誕生日の子供がいた時だけですけどね。

 

そのお誕生日の歌の伴奏を弾く時間が、大人の礼拝の何かと同じになって

しまう時、私が父の代わりにオルガンを弾く事になったんです。

 

緊張しました。

 

よくやったなと思います。

 

生まれるまえから(こども讃美歌80)

 

「生まれる前から神様に、守られてきた友達の、誕生日です、おめでとう」

 

こんな短い讃美歌ですけど、その時の私にはとっても長く感じました。

 

 

両親がどんな讃美歌を歌っていたかの記憶はないんですが、もっと

ちゃんと聞いていれば良かったなと、今になって残念に思います。

 

子どもの頃の、若かった両親の思い出です。

 

いつ教会に行かなくなったのかの記憶もありません。

 

 

母が認知症の診断を受けて間もなくの頃、その教会で一緒だった人で

牧師になった人に会いたいと言っていました。

 

その教会こそ若い両親が知り合った教会です。

 

今は移転して昔の場所にはありません。

 

チャンスがあれば今ある場所に行ってみたいなと思います。

 

教会の名前は変わっていない様ですので、検索すればすぐにわかると

思います。

 

急に思い出して、健忘録としてブログにしてみました。

 

 

 

 

 

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