遠距離介護ダイアリー

東京と東北間での遠距離介護は突然始まりました。私はホームヘルパ ーを25年以上やっており色々な在宅介護を目の当たりにしてきました。人間誰にでも訪れる介護の話を日々綴っていきたいと思っています

介護の原点。主人の大病③

 

カンファレンスバナー

 

 

 

 

弘前大学に転院し、今の病状説明がありました。

 

私の方からMRSAだと言われたと言うと、

 

「そんなのどこにでもいる菌だよ。

そんなの大したことじゃないよ」

 

あんなに恐れていた自分は何だったんだろう。

 

ぜんぜんMRSAを怖がっていない。

 

何でこんなに違うんだろうと思いました。

 

転院前の病院ではまるで手の施しようがないような事を

言われたのに、ここではそんな事は問題ではないと言う。

 

もっと先をしっかり見ていました。

 

この時行われていた治療が髄膜炎の治療でした。

 

この時は付き添いも大変な時期でした。

 

点滴をひっぱたり、起き上がって点滴の袋を触ろうとしたり、

そしてそれを注意した私の事を怒ってほっぺたをビンタされたり、

泣くに泣けない状態でした。

 

そんな状態が何日続いたんでしょうか。

 

そして何の気なしにおしっこの袋を見るとおしっこが出ていない

事に気づきました。

 

おかしいおしっこが出てない。

 

主治医に伝えると、急にその時がやってきました。

 

「腎不全を起こしてしまいました。これから集中治療室に

入ります。」

 

夜中の12時頃の出来事でした。

 

病棟のベッドごと廊下を走り、集中治療室に移りました。

 

 

意識が戻ってから聞いた事ですが、この時おそらく生死の境目

にいたんでしょう。

「自分が棺桶の中に入れられて、じっとしていなきゃ

ならないのが辛かったから、動いたんだ。そしたら

亡くなったおばあちゃんが出てきて、まだ来るところじゃ

ないから早く帰れって言って帰されたんだ。」

三途の川の手前まで行ってきたんです。そして戻ってきたんです。

 

 

 

集中治療室に入ると、付き添いも病棟で休むのではなく、

集中治療室の家族控え室で待機する事になります。

 

急変してもすぐに来られるようになんでしょう。

 

そして集中治療室に入った主人の耳元で

 

「お願い、おしっこして、お願いだからおしっこして」

 

って叫び続けました。

 

集中治療室に入った主人はやせ細り、足は骨が出てきて、かかとと

仙骨部には褥瘡ができ、80キロ近くあった体重が50キロまで

落ちて、30キロ近くダウンしました。

 

もちろん私の事はまだわかりません。

 

このころは子供たちもお見舞いに来なくなりました。

 

「行ってもパパわからないんだもん」

 

私しかいない。なんとしても助けなきゃいけない。そんな思いで

必死でした。

 

 

 

 

この一番悪かった時、毎週施設長補佐がお見舞いに来てくれていました。

 

その時、万が一の事があれば生活も困るだろうと、私の事を

法人で採用しようと考えていると言ってくださいました。

 

 

しかしそんなことを考える余裕もなく、なんて返事したかも

覚えていません。

 

これが法人採用の始まりとなりました。

 

それから数日後にちょろちょろとおしっこが出てくれました。

 

「あ、おしっこが出ましたね。」

 

こんなにおしっこが出た事が嬉しかった事はありません。

 

集中治療室の看護師さんと喜んだのを覚えています。

 

そしていよいよ集中治療室卒業を迎えました。

 

でもまだ意思疎通ができる状態ではありません。

問いかけても返答無しです。

それでも何とか命が助かっただけで嬉しかったです。

 

ここから今度は少しずつ良くなっていきました。

 

しかし、ここで終わりではありませんでした。

 

まだ続きます。

 

 

 

にほんブログ村 介護ブログ 高齢者福祉・介護へ
にほんブログ村

お名前.com