次から次へといくつもの病魔に襲われましたが
やっとすべての病魔を負い払う事ができる日が
見えてきました。
薬には少なからず副作用がつきものです。それは
わかっていました。しかし今回のような副作用から
大きな病気を生んでしまう事は想定できず、大学
病院だからこそできた治療だったんじゃないかと
思います。
このまま近所の病院にいたら主人の命はなかった
と思います。
主治医に言われました。
「入院してきたその日に、集中治療室に入れてください って
言った人は今までいないよ。あなたが初めてだよ。
あなたのご主人の病気を治したのは医師じゃないよ。
医学だけでは治らなかったよ。凄かったね。」
私はそんなことを考える余裕も何もなく、
本能で動いていたような気がします。
自分のできる事は一生懸命やりました。ひっぱたかれて
ほっぺた痛かったです。
でもそれは病気がやってることだと自分に言い聞かせ
頑張りました。
リハビリを教えてもらった事、あらゆる検査を見てきたこと。
例えば動脈血の採取や、髄液の採取。眼底検査、ガリウムシンチ。
こんな事はこの経験がなければ知らなかった事ばかり。
主人の大病を通していろんなことを経験させてもらいました。
清拭の仕方、足浴の仕方、色々なことを主人の体でやってきました。
まだ30代だった私が看病する姿をみて、ほめてくれる付き添いの
おばさん達もいました。
今思えば、それがすべて今の私の介護職としての原点となっている
と思います。
患者の痛みも介護(看病)する側のつらさも、この入院の7か月で毎日身を
もって経験しました。
主人の病気は若かった事もあって何とか完治する事が出来ました。
しかし高齢者の介護はすべてが快方に向かうわけではなく、
悲しい結果になってしまう事もあります。
私はかかわった高齢者に今を楽しく元気に過ごしてほしいと思って
介護しています。
寝たきりの方でも意識があれば会話はできます。
意識がなくても、食事をしたり体をきれいにする事で、少しでも
気分よく過ごしてもらえればと思って毎日訪問しています。
出来れば「自分で自分を介護するならこうしてほしい」を常に考えて
嫌な事はしない、言われたくない事は言わない、言葉を選ぶという
気持ちで利用者さんとも接していきたいと思っています。
介護職は楽ではありません。
でも人にとっては必ず必要になる職業です。
親の為だったのが、いつかは自分の為に必要になります。
だから介護をいつかじっくりとみなさんにも考えてほしいです。
若い方にはまだ早いかな。親も若いでしょうから。
でも40歳過ぎたら親は60を過ぎますから考えてみてくださいね。
私のような経験はしないに越したことはありません。
でも長い人生何があるかわかりませんから。
そして冬を迎え12月上旬に退院しました。
職場には1月を過ぎ少しずつ体を慣らしながらゆっくりと
復帰しました。
20数年たった今も、主人の仙骨部には褥瘡のあとが残っています。
そして主人の勤務する施設で新たにヘルパー事業所の開設をする
時に、私に改めて声をかけてくれました。
不安もありましたが頑張ってみると返事をし、職員として採用されました。
辛い事も多少はありますが、今はもう少し介護職を楽しみながら、
両親の介護も続けていきたいと思っています。